上田市長谷寺から龍洞院へ「准胝観音」返還 コロナ禍「元の場所から見守って…」

信州民報

 上田市蒼久保の龍洞院へこのほど、同市真田町長の長谷寺から「准胝観音(じゅんていかんのん)」が返還され、24日の龍洞院「大般若会祈祷会」で准胝観音返還開眼供養が行われた。


長谷寺は明治23年1月10日に火災に遭い、全てが灰じんに…。その際、龍洞院から本尊として准胝観音像はじめ、様々な見舞いの品が提供された。その後、長谷寺は民家を移築して法務を営み、その間、准胝観音は本尊として寺壇を見守った。昭和53年に本堂を再建し、同時に本尊として「釈迦如来像」を新造。以来、釈迦如来と准胝観音を本堂に安置してきた。


長谷寺の宮下俊哉住職(第23代)はこの日、「火災より131年、本堂再建より43年が経った。今、世界は新型コロナウイルスが蔓延し、人々は不安と苦悩を抱えている。無病息災・平穏無事を願って准胝観音を龍洞院へ返還させていただき、元の場所から世の人々を見守っていただくよう願うところであります」と話す。


龍洞院には記録が残されており、開眼供養を執り行った村上静雪住職は「長谷寺火災の際、当時の住職(第19代)は本寺に泊りになっていた。その後3人が同行し、観音様の他に米や衣服などを大八車に乗せて急坂を上って、届けたそうです」と参拝者(寺関係者)に伝える。


また長谷寺の宮下博一東堂(第22代)は「19代住職は龍洞院様から出て、長谷寺の住職になられた」とし、「私は住職として52年、准胝観音様にお付き合いさせていただいた、やさしい顔の観音様。長い間お預かりし、ありがとうございました」とお礼の言葉を述べ、同寺の山口三千夫護持会長は「長谷寺は3度の火災と土石流による被害で4度、寺を無くしましたが准胝観音様を迎えてから、何事もなく今日まできました」と話した。


なおこの日、長谷寺からは龍洞院へ、お礼として記念品が贈呈された。


【准胝観音とは】日本では六観音の一つとして尊崇され、聡明などの功徳の他、除災・延命・徐病で信仰されている。

▲返還された「准胝観音像」
▲大般若会の様子
▲(写真は左から)あいさつする宮下東堂、村上住職、宮下住職

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