往古は岩下地籍の東端の岩穂地籍にあったと伝えられていますが、1617(元和3)年の水害のため、現在の位置に遷宮されました。社殿の造営は宮大工の関口嘉重が手懸けたもので、本殿の周辺には竹内八十吉の作とも言われる立派な彫刻が施されています。神社の境内にはほかにも文化財の紹介のマップや看板なども設置されています。