【上田市大屋】山本鼎提唱の〟農民美術運動の拠点〝日本農民美術研究所跡地の看板 除幕式 

信州民報

上田市にゆかりある芸術家・山本鼎(1882‐1946)生誕の日の14日、鼎が提唱した農民美術運動の拠点だった「日本農民美術研究所」跡地を紹介する「案内看板」の除幕式を市内大屋で行った。


同看板は、鼎の顕彰活動を行う市内の「神川・山本鼎の会」(尾澤敏春会長)が、令和3年度市わがまち魅力アップ応援事業として同研究所跡地(大屋)を仰望できる、しなの鉄道大屋駅の線路沿い緑地(上田市所有地)に設置したものだ。


この日は同会や農民美術、市、しなの鉄道の関係者ら約30人が出席。尾澤会長が山本鼎の偉業を伝え、「日本農民美術研究所から、農民美術運動が広がっていったことを知らない人が大勢いると思う。この看板を見て地域内外の皆さんに知っていいただければ」とあいさつ。来賓で出席した土屋陽一市長、しなの鉄道㈱・春日良太社長らも看板設置を祝い、関係者らで看板の除幕を行った。


今回設置した看板では、同研究所の写真・解説とともに児童自由画運動や農民美術運動など山本鼎の功績のほか、鼎の活動を支えた協力者紹介も含め、わかりやすく紹介している。


農民美術運動は、農家の農閑期を利用して木製の工芸品を作り、売ることで農家の副収入とするもの。併せて作る喜びも伝え、全国に広まった。日本農民美術研究所は1923年に建てられ、鼎らの指導で農民らが木製の工芸品を作り、研究所で学んだ人々は日本各地へ指導にも出向いている。その後、資金難で閉鎖された研究所は1955年に取り壊された。

▲看板の除幕。看板の右奥の丘の上に日本農民美術研究所があった
▲ 尾澤会長が看板設置の思いを語る


 

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