上田市上田原の西山ふさ江さん(100)の百寿記念講演「今だからこそ伝えておきたい東京大空襲の体験」が5月30日、上田創造館文化ホールで開かれた。
西山さんは大正10年(1921)5月30日、旧殿城村生まれで、この日がちょうど100歳の誕生日だ。13歳の時に東京に養女に貰われ、太平洋戦争のさなか、昭和16年の長女・小林知恵子さん(79、中央北)をはじめ3人の子をもうけた。現在は孫8人、ひ孫12人、玄孫3人に恵まれている。
この日の講演は昨年暮れ、小林さんが「100歳になったら。みんなでお祝いするから」と西山さんの希望を聞いたところ、「戦争の話を伝えておきたい」と言っていたことから、小林さんの参加するコーラスグループの仲間が応援して実現したもの。小林さんは、「100歳になっても頑張っている姿を見てほしい」と話す。
会場には、西山さんが朝風呂で知り合ったという風呂仲間や長女の友人、親戚ら約80人が参加。ステージは、孫たちからの100本のピンクのバラの花束などで埋められる。講演は対談形式で行われ、小林さんのコーラス仲間・青島喜美江さんが聞き役になり、同じく竹花千江子さんが司会を務めた。
西山さんは東京上空に飛来するB29の姿と空襲警報、焼夷弾の怖さを語る。「敵機から兵隊が降りてくるから」と竹の棒を振り回す訓練、焼夷弾が落ちてきた時のためにとバケツリレーの練習、配給券「一人おじや1杯」に耐えられず千葉まで行った買い出し等々を伝え、会場は鮮やかによみがえる戦争体験に静かに聞き入る。
そして上田へ疎開するために向かった上野駅の大混雑、屋根まで人が乗った満員の列車に窓から引き揚げてもらって乗車。大屋に到着した時には雪が降っていて、長男をおぶって歩いて実家まで帰ったことなど…。その時の状況や天気まで思い出しながら、よどみなく、時には涙しながら語った。
西山さんは、取材に「苦しかったことを思い出すと涙しない日はない。伝えておきたい。自分がしてきた惨めな思いを皆さんにしてほしくない。平和がいい」とし、元気でいるコツは「月1回、創造館で続けている折り紙の指導と、たくさんの友人に見守られていること」と、笑顔をみせた。