五十年前の今日の見出し 昭和46年2月 第6606號
▼一円の国の助成もない 上田「しいのみ園」 立ち遅れた重症身障児対策
重症身障児をもつ親達の願いによって昨年五月に誕生した上田市の通園施設「しいのみ園」で十九日、長野、松本、飯田各市の通園施設関係者が集まって研究会を開く。同園には現在市内の九人の重症身障児が通園して機能回復訓練などを受けている。上田市の重症児は市の調べによると二十人で、うち九人がしいのみ園、五人が他の病院の施設などに入り、あと六人が家庭におかれて施設に入れずにいる。ところが、このしいのみ園のような通園施設は国の法律に基づいてつくられたものでないため、国からは一円の助成も援助も得られない。運営費はすべて篤志家の寄付と市費によって…
▼駅前ビルを新改築=上田駅周辺を近代化
上田市では、将来、国鉄上田駅を民衆駅に建てかえ、それに伴う駅周辺の整備も行いたい方針で計画を進めているが、一方、駅前ビルの所有者である田沢倉庫でも市の方針に歩調を合わせて改築を検討している。駅前ビルは水野市長の時代に、田沢倉庫の所有地に建設した市と田沢倉庫の共同の建物である。中央の鉄筋コンクリート造りの部分は市の所有で、その両わきの木造モルタルの部分は田沢倉庫の建物である。この建物はできてからまだ十余年にしかならないが、今できる建物はいずれもモダンな近代建築ばかりなので、何となく古めかしく…
▼「義民碑」建てる=蓼科神社に地元民
【望月】明治のはじめ、北佐久郡の旧芦田家など八か村の農民が、凶作続きで窮乏の極に達し、農民一揆を引き起こしそうになったとき、森仁左衛門、大島庄次郎ら関係村の有力者が小諸藩に強訴、この結果、藩が救援米を出すなどで農民は救われたが、強訴した十七人が死罪、流刑などに処せられた。地元の住民らは、この義挙を長く後世に伝え…
▼繊維学部で大会
日本生態学会中部地区甲信越地区大会が、信大繊維学部で開かれた。生態学というのは、生物が環境とどのようなかかわりあいで生きているか、あるいは生物相互にどんな関係で生息しているかなどを研究する学問。この大会には、甲信越地区の学者や研究員が数十人出席する予定で、繊維学部からも…

